ご家族 お客様インタビュー
アズハイム横浜いずみ中央牧内恭寛様(お母様が入居)
母の帰りたい場所が“アズハイム”になりました
インターネットで情報収集してホームを自己採点
「アズハイム横浜いずみ中央」との出会いはご縁です
自立した生活にこだわる認知症の母
呼び寄せからホーム入居まで足かけ12年
牧内恭寛様のお母様(90歳)は、現在「アズハイム横浜いずみ中央」に入居されています。2年前に「アズハイム横浜いずみ中央」に入居するまでの12年間は、恭寛様の自宅近くの高層マンションで一人暮らしをされていました。
恭寛様はアメリカに住む弟様との二人兄弟です。15年前にお父様が他界、お母様は東京・武蔵野市の自宅で一人暮らしを続けていましたが、恭寛様とお母様の妹である叔母様の説得で恭寛様の自宅近くに転居しました。
- 恭寛様
- 私は横浜で弟はロサンゼルスですから、東京にいる母に何かあってもすぐには行けないでしょう。母が転居したマンションは私の自宅から歩いて5分の場所です。側にいれば面倒が見られますからね
恭寛様のお父様は元外交官で、武蔵野市の自宅には海外で集めた美術品や家具のほかに、段ボール箱10箱以上になる写真などであふれ、その処分に半年以上もかかりました。お母様が転居した横浜のマンションは98㎡とお一人で住むには十分な広さ。それでも愛用する家具や美術品の一部は処分できずにお持ちになったため、手狭だったといいます。
- 恭寛様
- 横浜のマンションに越してから5年ほどは叔母や姪と旅行をして元気に過ごしていましたが、2010年頃から母の様子が変わりましてね。幻覚が見えるとか妄想と思わせるようなことを口にしたのです。医師に診てもらったところ、レビー小体型認知症と診断されました
恭寛様は帰国した弟様と相談して、「一人でいるのは大変だからいろいろと考えよう」とお母様と話しました。ところが、「同居は嫌、施設入居も嫌」とお母様には聞き入れてもらえなかったそうです。当時、お母様は介護保険の「要支援1」と認定されていましたが、自立心の強いお母様は「自分のことは自分でする。介護保険サービスは利用したくない」と、介護保険サービスの利用を拒みました。
それから5年、服薬を続けたこともあり認知症の進行は緩やかでしたが、外出をすると居場所がわからなくなって通りがかりの人に自宅まで送ってもらったり、カギを無くして家に入れなくなったりと、認知症による行動がみられるようになりました。
それでもお母様はお一人暮らしを続けていましたが、2014年の大晦日、一人で自宅にいるときに転倒をしてしまい、救急車で病院に運ばれて入院をしてしまうのです。
- 恭寛様
- 精神状態が不安定で病院では身体拘束の処置が取られましたが母が大暴れしましてね。翌日には病院から退院してほしいといわれました
当時、介護認定「要介護1」のお母様は、退院後しばらくは訪問介護サービスを利用して生活を続けていました。訪問介護サービスは週2、3回程度、掃除、買い物代行などのサービスを利用していました。しかし、お母様の心情としては、自身のことは自身でという気持ちが強かったそうです。
そのような生活を続けて2カ月が経過した2015年3月、アメリカから帰国した弟様がお母様の様子を見て「このままの生活は厳しい」と恭寛様に伝えたそうです。
そこで弟様と話し合い、恭寛様はインターネットで老人ホーム探しを開始しました。
恭寛様は、立地、価格、築年数、職員体制など5~6項目をたてて老人ホームを採点。上位2ホームに絞りました。その一つが「アズハイム横浜いずみ中央」でした。
- 恭寛様
- 3月後半に妻と一緒に『アズハイム横浜いずみ中央』見学しました。新しくて雰囲気が良いホームだと思いました。比較的お元気な方が多い3階の部屋が空いているということだったので入居を決めました。これもご縁ですよね
恭寛様にとって、有料老人ホーム探しは初めてのことでしたが、以前、義父が有料老人ホームのショートステイを利用していたこともあり、有料老人ホームを訪れたことはあります。その有料老人ホームは重度の介護状態の人が対象のホームで部屋にトイレがなく、館内は異臭が漂っていました。その時の印象が強く、有料老人ホームにあまり良いイメージを持っていませんでしたが「アズハイム横浜いずみ中央」は臭いも感じず、清潔な印象を抱いたことも決め手の一つだったといいます。
後日、「アズハイム横浜いずみ中央」のホーム長と入居相談員がお母様の自宅を訪れて、お母様、恭寛様と面談。まずは本入居に向けて1週間の体験入居をすることとなりました。
- 恭寛様
- ところが、体験入居を前に母の様子が変わりましてね。ある日訪ねたら今まではベッドで寝起きをしていたのにソファで寝たままの状態でいました。そしてある日は異臭がしましてね。何度か粗相をして動けなくなっていたのです
面談後のあまりの変わりように、恭寛様は「『アズハイム横浜いずみ中央』では受け入れてもらえないのではないか」と思ったそうです。それでも、ホーム長から「大丈夫です」といわれ、救われる思いだったといいます。
介護スタッフの適切な判断で硬膜下血腫を早期発見
お母様は1週間の体験入居を経て「アズハイム横浜いずみ中央」の新生活が始まりました。
- 恭寛様
- 『アズハイム横浜いずみ中央』に本入居して間もない頃、母をみていた介護スタッフの方が、様子がおかしいから検査しましょうって。脳外科で診てもらったところ、硬膜下血腫で即手術となりました
この時の介護スタッフの観察力がお母様の病気の早期発見につながりました。手術後、お母様は順調に回復。入居当時は車いすの生活だったお母様も、今はご自身の足で歩き、食事も残さず召し上がるまで元気になりました。
- 恭寛様
- 母はもともと丈夫な人ですから。2011年の東日本大震災の時も、大きく揺れたあと心配になって母が住むマンションの32階まで非常階段を使って訪ねました。それは、それは大変でした。ところが母は美容院に出掛けて不在だったのです。しばらくして母も非常階段を使って自分の足で32階まで上ってきました。驚きましたね、当時84歳ですからね、心臓も強いし、健脚でしょう
健康を取り戻し、「アズハイム横浜いずみ中央」での生活になじんでいるお母様ですが、恭寛様の心配事はお母様がいつ“自宅に帰りたい”と言い出さないかということ。以前、特別養護老人ホームのショートステイを2度利用した際に、夜になると「自宅に帰りたい」とお母様が大暴れしたことがあったのです。
- 恭寛様
- 老人ホームの入居者の中には、入居後1年経過したのに『家に帰りたい』という人がいると聞きました。いつ母が家に帰りたいと言うかわかりませんから、横浜のマンションは昨年末までそのままの状態にしていたのです。弟とは、一年半たったから大丈夫だろうと、ようやく処分することにしました。家財道具は、母にとってはもちろんですが、私と弟にとっても思い入れのある品々ばかりです。処分に半年かかりましたね
お母様のマンションには数々の家具や美術品のほかに、値札が付いたままの大量の衣類がありました。恭寛様が驚いたのは、新品のパジャマが50セットもタンスから出てきたこと。どれもお母様が好む、似たような柄でした。
- 恭寛様
- 母は毎日毎日同じ食べ物を買っては冷蔵庫に詰めていました。買ったことを忘れているのです。心配だったのか、衣類はパジャマから肌着まで大量に買っていましたね。そんなこともあって、このマンションの処分も、大型トラック4台分、2日かかりました
社交的な性格で麻雀や外出レクリエーションを楽しむ日々
母の帰りたい場所は「アズハイム横浜いずみ中央」に
今、お母様が出掛けたときに「家に帰りたい」という場所は「アズハイム横浜いずみ中央」になったといいます。
- 恭寛様
- 母にとっての家は、生家がある長野県飯田市と父と駐在していたころの海外の自宅、そして『アズハイム横浜いずみ中央』です。長く住んでいた武蔵野の家も入居前に住んでいた横浜の家も忘れつつあります。帰りたい家が『アズハイム横浜いずみ中央』となり、ありがたいですね
お母様は長男の恭寛様にはわがままな一面を見せることが多く、横浜のマンションに転居した際は「あなたのせいで越してきた」と恭寛様にきつく当たられたそうです。そのお母様が「アズハイム横浜いずみ中央」では日常の些細な不満を口にしても、「今の生活に満足している」とおっしゃるそうです。
外交官の妻として、のべ18年間海外生活をしてきたお母様は元来社交的なご性格です。1カ月に1回は大好きな麻雀に興じたり、外出レクリエーションに参加したりして「アズハイム横浜いずみ中央」での生活を楽しまれています。
「もともと人当たりのよい母ですから、皆さんとうまくやっているようで安心しています。今が一番いいと思いますね」と恭寛様。かたわらではお母様がにこやかに微笑みながらパキスタン語で挨拶をしてくれる姿がとても印象的でした。